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2008年10月31日
僕にとっての満月パート2(裏満月)
タイトルのとおり、昨日の続き。
描き終えた絵から、かみさんのことを思ったというのが、
表満月の印象。
そうしたら、さらにイメージが沸いてきた。
で、「描きたい!」という衝動が沸き、
そんでもって、もう一枚描いてしまった。
それがこれ。
タイトルはまだない。
表満月と裏満月でセット。
人も、満月も、見えないところにあるもの
が面白い。
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2008年10月30日
僕にとっての満月パート1(表満月)
先日のアートワークショップは「覚醒」がテーマ。
最近、「満月」が気になっていたこともあり、
満を持して描いてみた。
それがこれ。
タイトルは「大切なもの」
その中で、発見があった。
僕にとって大切なものは、かみさんなんだと確信した。
そして、かみさんへの感謝の気持ちが浮かび上がってきた。
ホワイトシップの貴美ちゃんからは、
「この作品を持ち帰ったら?」
と言われたけど、
「恥ずかしいからできない」と答えた。
男ってそういうものなのかもしれない。
投稿者 sunrise : 23:46 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月28日
美の巨匠 Victor Hi-Fi Stereo Audiola
今日も我が家シリーズ
先日、我が家にステレオセットが届いた。
とある、造船技術者の御宅に眠っていた一品。
製造年月日は記載されていないものの、
東京オリンピックのころらしい。
そして、ステレオとともに出てきたのが、
一枚のレコード。
美空ひばりの「真っ赤な太陽」
オーナーはこれを聴き、何を思ったのだろうか?
秋の夜長にこっそり聴いてみたい。
投稿者 sunrise : 09:11 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月27日
今だけ赤い屋根の家
突然だけど、
我が家は面白い。
今面白いのは、今だけ屋根が赤いこと。
まずは我が家を見てもらおう。
我が家といっても借家である。
なぜなら?
借家が好きだから。
なぜ好きかはおいておき、
今、我が家の屋根は赤い。
でも、今週、色変わりする。
元の色に戻るらしい。
一週間ほどだったけど、
違う家に住んだ感じがして、
面白い。
投稿者 sunrise : 10:38 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月24日
HoCA鎌倉地域活性プロジェクトはじまる?
昨日、HoCAの代表者である僕の顔と、
腰越に住む鎌倉住民としての僕との、
二つの顔で教育委員会に行ってきました。
とはいっても目的はひとつ。
HoCAによる、地域住民のための、暮らし心地よい地域を創造するための、
地域活性ツールとしてのアートワークショップの提案です。
加えて、
事前に鎌倉市のHPを見たものの、該当するようなものがなかったことと、
今年、板橋区立中台小学校で開催したことを踏まえ、
ぜひ、地元でも同様のことを行いたいというのが今回のいきさつ。
お伺いしてわかったことは、
「教育課程の中に組み込まれている総合学習」としての授業となるか、
「社会教育としての放課後子どもプラン」としての取り組みになるか、
のいずれかであること。
そして、後者は、行政単位で取り組み姿勢に千差万別あるものの、
鎌倉市では稲村ケ崎小学校でモデルケースづくりをしている
とのこと。
そして、
来年度の、放課後子どもプランとしての活用を検討いただく
ということとなりました。
いよいよHoCA鎌倉地域活性プロジェクトのはじまり?
を告げる、記念すべき日になりました。(拍手)
投稿者 sunrise : 09:11 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月19日
それは意外にも近くにある
このところ気になっている言葉がいくつかある。
「準備ができているとは?」
「始まりがあるものには終りがある」
「その道を知っているのと歩くのとは違う」
今日、それらが統合しはじめたんだよね。
実は、昨日、今日と仲間のリュウスケのビーチクリーンに参加。
あの、「ALOHA KAI」号のこと。
リュウスケは、11日に小田原から旅を始め、
今日19日に由比ガ浜で旅を終えた。
その道中を一緒したってこと。
そのポイントは、鎌倉高校前。
日本の駅100選にも選ばれるくらい美しい駅の前の浜。
昨日の夕方も、今朝も、そこで海を眺めながら話をしたんだけど、
ここが、始まりで、ここが終わりなんちゃうかと感じたんだよね。
で、
探し物は意外にも近くにあるっていう感覚になったわけ。
あっ!アルケミストと一緒だ。
投稿者 sunrise : 17:13 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月15日
マトリックスからの学びパート3(始まりがあるものには終わりがある)
映画マトリックスでは、
「始まりがあるものには終わりがある」
(Everything that has a beginning has an end)
というメッセージが象徴的な言葉として使われている。
第三話のクライマックシーンで、エージェントスミスとネオが統合するとき、
二人の間でこの言葉が交わされる。
自分に終わりはなく、自分がマトリックス(システム・情報社会の象徴かな)を支配していきたいと思うスミスと、
自分に終わりを迎え入れることで、ザイオン(アナログ・人間の象徴かな)の存続を望むネオ。
そして、二人を統合させることで、双方の社会を保ち、システムの進化を図ったオラクル。
この言葉って、「変化」や「進化」のコアな部分を意味していると解釈しているんだけど、
実は、僕自身、
自分の都合にあわせて、変化を望んだり、それがないことを期待していたりはしないか?
って思ったんだよね。
だったらいっそ、
「すべてに始まりがあって終わりがある」と思えば、
予期せず今日終ることもあるし、
明日始まることもある。
いやはや、これはいい。
前回紹介した、養老さんの「先が読めないから面白い」とも符号するよね。
ということで、そうなると大切になってくるのは???
次回も、マトリックスからの学び。
投稿者 sunrise : 08:57 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月14日
ナイスな人たちのナイスな遊び(昼満月プロジェクト)
最近親近感を覚えた人がいる。
その人は養老孟司さん。
日経ビジネスの巻頭コラムを読んでのこと。
(以下、日経ビジネス2008年9月29日号より抜粋)
「例えばインターネットの中にあるのは、すべて過去の遺物です。ああいうネットの情報や使いこなしに詳しいということは、極端に言うと、後ろ向きに全力で生きている、ということなんです。」と。
「じゃあ、前を向いて生き抜くには、具体的にはどうしたらいいんですか。」と皆さん必ずお聞きになる。僕はいつも「それは、『ああすればこうなる』といって生きるのをおやめになることでしょう」とお答えしています。
マトリックスで、情報社会の象徴であるミスタースミスも言っていた。
「目的、目的、目的、目的」
いつの間にか、
目的がないと生きていけなくなっていたり、
答えがないと不安になってしまったりする社会を創り出している。
さてさて、
昨日は今年最後の浜辺BBQ。
集いし人たちは、古くからの仲間もいれば、
今年出会った方々もいる。
そんな新旧老若男女一同と、気持ちいい場所で気持ちいいひと時を過ごすことに。
(さて、ここはどこでしょう?)
そこで気付いたことがある。
人それぞれ場の楽しみ方が違うってこと。
僕には、会社や都会での生活が色濃く出ているのではないかなと感じたなぁ。
たぶん、もともとは、みんな一緒だっただけど、
都会の垢がそうさせているのかもね。
そんな重たい鎧を外すのは、無邪気に遊ぶのが一番。
自然を抱きしめて遊ぶのが一番。
(姉妹?といわれたふたり。たしかにそんな感じがするねぇ)
それを実感できると、
未来に向けて始動できるよね。
投稿者 sunrise : 09:51 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月02日
マトリックスからの学びパート2(受身的な五感から能動的な五感活用へ)
さてさて、最近書いている学びのテーマは、
マトリックス的に言えば、人が解き放たれるプロセスにあるエレメントについて、
僕の実感に基づいて、確信的に書いていたりする。
では、本題。
「時間」「お金」「肉体(からだ)」に続き、
前回は、「脳(五感情報)」だったよね。
今日は、ある意味前回の続き。
五感の中でも、日常あたりまえになっている、
「視覚情報と言葉」をどう受け止めるかが重要だよね。
言い換えれば、
「見えるもの」と「言葉」の常識をなくすことで、
覚醒(Remember)が起こるということ。
マトリックスの完結編で救世主ネオは視覚を失う。
結果、本質が見える。
「見えるもの」や「言葉」には、そういう部分が含まれていることを知ることで、
今まで以上に、見たいものが見えてきたり、言葉のもつ可能性に、
触れられると思うよね。
五感は、能動的に活用するためにあるんだね。
投稿者 sunrise : 10:10 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月01日
マトリックスからの学びパート1
これまでのハリウッド映画の中で、
最高傑作として名高いマトリックス。
(もちろん、勝手にプレイである)
「速読」では、「時間」からの解放がテーマとブログに書いたけど、
マトリックスは、
五感で得た情報を認識したり、統合したり、編集したりしている「脳」からの解放がテーマ。
作品中、モーフィアスが頻繁に使う、「解き放て(free your mind)」は、
脳で形成した「常識」を捨ててしまえ!ってことね。
(常識に基づいた、恐怖・不安・・・といった感情も一緒に捨てちゃうことになっているけどね)
で、余計なものを捨てるとはどういうことなのか?
スプーンを曲げようとしちゃだめ、ただ真実を見ようとするんだよ。
(Do not try and bend the spoon. Only try to realize the truth.
そうすればスプーンを曲げるんじゃないとわかる。自分のことなんだ。
(You’ll see that it is not the spoon that bends. It is only yourself.)
ここで、ネオが持ったスプーンは曲がっちゃう。
それでも、常識はなかなか捨てられない。
入り口までは案内した。扉は自分で開け。
(I can only show you the door. You have to walk through in.)
道を知っているのと、歩くのとは違う。
(There’s a difference between knowing the path and walking the path)
一歩が踏み出せないネオ。
しかし、あることで歩み始める。